ども、機械です。
統計は全体の傾向を示すために用いられるものであり、本来「試験方法」の正当性
と評価を下すためのものである、と私は考えています。
統計によって評価を下す場合、「ある観点からの限定的な傾向」ということを必ず
考慮する必要があると思われます。
> > テストの点数で分かるのは、実は集団データと、テストの精度だけです。
>
> それを言うと、たぶん、教育学部の教育評価専攻の先生方からかなりメチャクチャ
> 言われそうです。
「得点」でも「正答率」でも「偏差値」でもなく、試験において考慮すべきは、
自分の知識や理解力の欠損部分の認識だということに異議があるなら、非常に興
味深いですね(笑)
もし、点数が意味を持つなら、「全て正答する」ということが前提でない、という
ことになると思うのですけどね・・・。
試験のための試験を認めるなら、教育ってナニってとこでしょう(笑)
> 現代文の領域で言うと、センター型の 5 択は実際の国語読解能力との関係が謎
> です。けれども、記述型でテストすれば、明らかに、国語能力の優劣でテストの
> 点数が上下します。プログラムなどは参考文献を見ないで組む能力というのに疑
> 問符があるので、得点と実際の習熟度の関係は?だと思いますが……。
そうですね・・・国語というのは「使ってナンボ」ですので、記述は確かにその
実践であり、国語力の「試験」として能力を測定できる、ということは頷けます。
答えの決まった読解や漢字・熟語、あるいは文法についての試験とかになると、
ややあやしくなりますが・・・
さらに、試験項目毎の評価が出るならともかく「総合得点」になると、もうこれ
は科学的な分析基準から考えると「使用不可能」な領域に飛び込むと思われます。
> > 偏差値は、個々データを評価する教育現場特有の計算方法ですが、コレこそ
> > もっともらしいだけで殆ど意味はありません。
>
> 私は偏差値批判をこういう角度から行った人を今まで見ていません。面白いとは
> 思いますが、入試という総合得点による合否判定システムがあるという前提があ
> ります。それを統計的に処理することによって、類似形式のテストと関連づけよ
> うとすると、どうしても、こういった統計モデルを採用せざるを得なくなると思
> います……。
模試は仕方ないでしょうね・・・入試システムが変わらない限り・・・
ただし、定期試験や実力試験については、この限りではありません。
※習熟度段階評価とかゆーやつですね。
最近では絶対評価になってきたので若干マシですが、評価をランキングとイコール
に考えるのはそろそろナンセンスだと思われます。
必要ラインがあり、それをクリアするかどうかだけを検査すれば、それでいい
と思うのですけどね。
それも「何割」でなく、必要なとこ全て、とゆーことで(笑)
機械伯爵