作者: Yukihiro Matsumoto
日時: 2003/2/03(00:26)
まつもと ゆきひろです

In message "[TSpython:301] でも、ある辺の長さに制限がある場合・・・"
    on 03/02/03, "機械伯爵" <kikwai@...> writes:

| 制約の無い言語であれば、その黄金比を追求すれば、
|非常にバランスの良い言語が出来ると思うのですが、た
|とえばPythonのように、そもそもの目的に「教育用」な
|どという厄介なモノが入っていた場合、文法に関する制
|限が非常に厳しくならざるをえないということになりま
|す。

Pythonのそもそもの目的に「教育用」などという厄介なモノが入っ
ているというのは事実に反すると思います。

GuidoがPythonの設計を始める前、80年代(前半?)に教育用言語の
ABCを開発するプロジェクトに参加していたのは事実ですし、彼自
身Pythonの設計においてABCから大きく影響を受けたと語ってもい
ますが、彼がPythonを開発したそもそもの目的は分散OS、Amoeba用
のスクリプト言語の開発であり、1989年のクリスマス休暇の趣味の
プログラミングプロジェクトです。「教育」は入っていません。

ABCの影響を受けた結果、「初心者にもやさしい」という特徴があ
るとされるのも事実ですし、教育用プロジェクトに使われた実績が
あるのも事実ですが、それを「目的」としたり、それによって言語
文法の将来が規定されるほど重大な制約と考えるのは行きすぎでは
ないでしょうか。

| いやそれ以前に、プログラムの書けない人でもコンピ
|ュータが使えるようになった、という理由のほうが大き
|いのは事実でしょうが、もうちょっと何かうまくやれば、
|もっとプログラミングできる人、ふえるんじゃないかと
|私は期待しています。

私自身は初心者はいつまでも初心者ではないという理由で懐疑的で
すが、もしかすると「そもそも教育用に設計された」プログラミン
グ言語が事態を改善するのかもしれません。Dolittleとか。

                                まつもと ゆきひろ /:|)