"http://blog.livedoor.jp/kikwai/"より転載
PはPythonのP
---P IS FOR PYTHON---
"Always look on the bright side of life."
「人生、いいトコだけ見て生きてりゃいいのさ」
by "MONTY PYTHON'S LIFE OF BRIAN"
0000-0000.プロローグ(導入)
朽縄 巽(くちなわ たつみ)は悩んでいた。
十五年余りの彼の人生の中で、これほど悩んだことは
無かった。
そう、かれこれ悩み始めて『十五分』も経っているの
だ。
これまでの彼の悩みは、長くてもせいぜい三分だった。
それ以上は、悩むのそのものに飽きてしまうからだ。
そもそも、悩みというものには何の生産性もない。
何かを解決したいなら行動するしかないし、解決せず
に放棄するなら放棄すればいい。
解決方法がわからなければ「悩む」のではなく「考え
れば」よい。
ともかく、『悩み』というのは、彼の基準では『最大
の無駄』であった。
『下手な考え休むに似たり』というが、『考え』も
『休み』もそれぞれ『貴重』なものであり、そんなもの
を『似たり』と例える人間の神経は、彼にはわからなか
った。
しかし、『悩み』が『無駄』であることは、間違いが
ない。
悩んだって、解決しない。
悩んだって、進歩しない。
悩んだって、『悩みの種』は消えやしないっ!
悩んだってっ!………………はぁっはぁ、ぜぇっぜぇ
………
まぁ事実はともかく、巽という少年は、『悩み』を完
全に『無駄な作業』と考えていたわけなのだが、その彼
が、なんと、永劫に等しい『十五分』という永きに渡る
期間、悩みつづけたのだ。
宇宙という言葉の『宇』は時を、『宙』は空間を表す。
宇宙、即ち時空の絶対の真理の一翼を担う時の流れの
区切りで、なんと『十五分』だ。
『十五分』あれば、一つの世界が生まれて滅びるまで、
十分な時間だ。
宇宙には無限の世界があり、その『十五分』の間に無
数の世界が生まれ、そして消えていく。
そのようなかけがえの無い貴重な時間を、『十五分』
も浪費してしまったのだ。
そんな無駄には耐えられない。
巽の精神は、『十五分』をきっかり十億七千三百七十
四万千八百二十四分の一秒、すなわちニの三十乗分の一
だけ過ぎた時、限界に達した。
「あきらめよう」
そして以後は、『いかにその仕事を楽に行うか』を考
え始めた。
☆ ☆ ☆
今の高校に入学してから半年。
後期生徒会役員選挙にて、一年七組十番 朽縄巽、推
薦にて会計に就任。
一学年上級の幼なじみに、無理やり引き込まれた……
…とも言う。
彼を引き込んだ張本人の名は、大鳥翔子(おおとりし
ょうこ)。
前期副会長、今期は生徒会長である。
一年年上ではなく、一学年上級と書いたにはわけがあ
る。
巽の誕生日は四月十日、翔子の誕生日は三月二十日。
つまり、実質の年齢は一カ月も違わないのだ。
なのに二人の間には、厳然としたヒエラルキーが存在
する。
つまり、翔子は常に巽の上に居た。
人間、得手不得手はあるというが、何事も卒なくこな
す人間はこの世に確実に存在する。
いや、少なくとも『そう見える』人間はいる。
大鳥翔子とは、つまり『そういう』人間だった。
また活動的で、人の輪の中心にいることが多い。
生徒会長(正確には『生徒自治会執行部執行委員長』)
などという仕事は、そのいかめしい役職名と異なり、実
際にはお祭り好き、世話好きの明るい人間が立候補する
ことが多い。
事実、翔子はそういう人間であり、三年生が前期を担
当するという慣例のため名目上は副会長であった前期も、
実際には中心になって仕事を行っていた。
そして、会長候補となり完全に人事権を掌握した翔子
は、予(かね)てからの計画の通り、巽を生徒会に巻き
込んだのである。
☆ ☆ ☆
「あんたを、会計で推薦登録しといたわ」
一週間前の月曜日昼の休み、教室で昼食代わりのカ○
リーメイトブ○ックをぼそぼそと齧りながら、A5サイ
ズの小型ラップトップパソコンをつついていた巽に、翔
子は前置きも無く言い放った。
巽は、千二十四分の一秒だけ思考した後、言葉を完全
に理解して五百十二分の一秒だけ硬直した。
何故、とは聞かなかった。
今までの経験上、理由を聞いたことによって、事態が
好転したことなど一度も無かったからである。
そのかわりに、はっきりと言った。
「お断りします」
一応学校では上級生ということで敬語なんか使ってみ
るが、拒否は拒否だ。
しかし翔子は、眉一つ動かさずに言い返す。
「拒否するなら、生徒自治会顧問の先生に、立候補/推
薦登録取り消し手続きを行うことね。ただし、基本的に
推薦登録を取り下げるなんておかしなこと、普通はしな
いから、かなり面倒よ」
そして、まるで予め拒否することを予測していたかの
ように、用意していた『取り消し手続き』について書か
れた小冊子を、巽に手渡した。
巽はさらっとそれを読んで、途中で返した。
翔子の言う通り、考えるのも頭が痛くなるくらい面倒
だった。
そもそも、ふざけて立候補しないための対策として作
られた規則らしく、立候補/推薦の取り下げには、選挙
なみの全生徒の投票による過半数以上の賛成が必要だっ
たのだ。
しかし巽はさらに、立候補者が居ない場合に教師が適
当な人間を見繕って推薦し、その者に拒否させる気力を
挫かせるように作られたものではないか、と考えた。
いずれにせよ、イジメのようにやる気の無い人間を推
薦するというシチュエーションは、全く想定されていな
いらしい。
さらに言えば、その手続きを改正するには、生徒議会
に議案を提出して賛成を得た後に、さらに全生徒による
投票が必要、となっている。
その辺まで読んで、翔子はこの無茶を通したのだった。
「とにかく、あたしの補佐として、あんたの力が必要な
の。イヤでも協力してもらうわよ」
無意味に長いストレートヘアをかきあげながら、翔子
は言い放つ。
アクティブなくせに、なぜか短くすることをイヤがる
翔子の髪は腰の辺りまで伸びている。
体育などのある日は最初から編み上げてアップにして
くるのだが、今日はそれもないせいか、真っすぐ伸ばし
っぱなしになっている。
巽にはその髪が、邪神が纏う闇のように威圧してくる
ように気がした。
「その、人を人とも思わない独善的な行動は、生徒会長
候補としていかがかと思いますが」
既に、敗北を悟った上で、せめてイヤミでも言ってや
ろうという負け犬根性で言い返す。
「会長に相応しいかどうかは、あんたの倫理観じゃなく
て、学校の全生徒が決めるわ」
もっともな話だ。
「なら、僕が役員なんかに相応しくないことも、ぜひと
も全生徒の意見として決めて欲しいですね」
「あたしがあたしの補佐として誰が欲しいかは、あたし
が決めるの」
さっきの話と矛盾していることは明白だが、翔子の口
調には全く揺らぎは無い。
「………面倒臭いこと、イヤなんだよ………」
巽がぼそっとつぶやく。
要するにソレが本音である。
翔子が、半眼で巽を見下ろして言う。
「あんた、この半年で部活にも入らないで、家でパソコ
ン叩いてるだけでしょうがっ! 非生産的なギャルゲー
だのネトゲだのやって、高校時代を腐らせるぐらいなら、
生徒会で少しは役に立ちなさい」
ギャルゲーの説明は要らないだろうが、ネトゲとはネ
ットワークゲーム(特にインターネットにつないで、リ
アルタイムに楽しむ MMRPG などを指す)のことである。
「ネトゲはやってねーよ。それにパソコンに向かって、
ゲームばっかやってるわけじゃねーってのっ!」
巽もややキレ気味である。
「じゃ、何やってんのよ。アダルトサイトでも見てるの
?」
………この女はっ!
事実か事実でないかはともかく、汚名返上せんと反論
しようとしたとき、昼休みを告げるチャイムが鳴った。
「ともかく、立会い演説の打ち合わせするから、放課後
に生徒会室に来なさいね」
そう一方的に言うと、悠然と去っていった。
後には、爆発しそうなストレスを抱えたまま、怒りに
震える巽だけが残された。
ちなみに巽をよく知る翔子は、飽きっぽい巽があまり
長い時間怒りを持続できないことも計算済みだった。
巽と翔子の力関係が揺らがないのは、つまりそういう
わけなのだ。
☆ ☆ ☆
あとはもう、あっという間だった。
せめて立ち会い演説の時に、ぶち壊し発言でもしてや
ろうかと思ったのだが、そもそも人の前でしゃべること
が苦手な巽は、なんだかよく分からないようなことを喋
っただけで終わってしまった。
そして、生徒会役員としての巽の生活が始まった。
引き継ぎとして、前任者の三年生の羽島八重(はじま
やえ)先輩から渡されたのは、無数の領収書を貼り込ん
だ分厚いノートだった。
「会計のお仕事は、生徒会の各種委員会やクラブ活動の
会計決算報告のまとめと予算配分の算出よ。大変なお仕
事だけど、がんばってね」
前任の先輩は、人の良さそうな優しそうなおねえさん
だった。
巽は即座に「ああこの人も、やっかい事を背負い込ま
されたんだな」と同情した。
ちなみにこの学校は、とんでもない数のクラブ活動が
存在する。
会計の件数も半端では無いのだ。
前会計のお姉さんは、気の毒そうに微笑む。
しかし巽は、別のことが気になっていた。
ノートに鉛筆書き?
確かに、紙の上のデータは、人が見る時は必須だ。
でも、鉛筆書きということは、この数値をいじる時に
は、全て電卓などに改めて打ち込む必要がある。
「このデータ、パソコンに入れてないんですか?」
生徒会室には、各役員一人につき一台のパソコンが割
り当てられ、それぞれ LAN でつながっている。
データが入っているのなら、プリントアウトがファイ
ルしてあってしかるべきだろう。
案の定、羽島先輩は困った顔をして言う。
「私、『えくせる』は、苦手なの」
「い、いえ、Excel じゃなくとも、CSV データとか XML
データとか、ないんですか?」
先輩は???という顔をする。
CSV(Comma Separated Values) は、データをコンマ
(,) で区切ったテキストファイル、XML(eXtensible Markup
Language) は、タグと呼ばれるマークを使った構造化テ
キストによるデータである。
ともに、Windows のオマケについてくるメモ帳でも書
けるテキストデータなのだが、Excel さえ苦手だという
先輩が、そんなコンピュータ用語(あるいは業界用語)
言葉を知ってるはずはない。
それを聞いてしまうあたりが、巽のヲタクとしての性
(さが) なのだが、そのやり取りを翔子はしっかり聞いて
いた。
「朽縄くん、羽島先輩に文句言わないの」
「文句なんて言ってません、ただ聞いてるだけですよ。
で、パソコンは使っていいんですね」
翔子はにやっ、と笑う。
「もちろん。そのためにあんたをスカウトして来たんだ
からね」
すると、書記の木崎美央(きさき みお)が、感心す
るように言った。
「朽縄くん、パソコン使えるんだ」
ちなみに美央は、巽のクラスメイトでもある。
影が薄く、こんな生徒会などという場所で顔を合わせ
てるのが、今でも巽には信じられない。
「パソコンなんて、きょうび誰でも使えるだろ?」
巽は、意外、という顔で美央を見た。
美央は、困ったように笑う。
「使えるけど………例えばあたしは、ワープロとインター
ネットとメールしか使えないし………」
「インターネットって………」
「堅気 (カタギ) の人がインターネットと言えば、ブラ
ウザで WWW のコンテンツを見ることよ。そーいうツッコ
ミしてると、女の子に嫌われるわよ」
翔子が巽の言葉をさえぎりながら、ため息をつく。
「お、大鳥先輩、ぶ、ぶらうざとか、わーるどわいどう
ぇぶって?」
うろたえる美央に、翔子はぴしゃりと言う。
「インターネットのヲタク的表現よ」
巽が憮然と反論する。
「ヲタク的表現じゃなくって、ちゃんとした技術用語で
すよ。大体Eメールだってインターネットを………」
「はいはい、ヲタ臭い講釈ぶつくらいなら、会計として
の仕事してね」
この態度に出た時の翔子に何を言っても無駄だという
ことは、巽はイヤというほどわかっていた。
「ともかく、パソコンにはデータ入れてないの、ごめん
ね」
巽は軽く手を振る。
「構いませんよ。さして手間がかかるわけじゃなし。僕
は僕の責任で、僕の方法でやらせてもらいます」
「がんばってね」
羽島先輩は、引継ぎが終わったということで帰ってい
った。
あらためて、伝票と数字の羅列を見る。
「しょ………大鳥先輩、ナンバリングマシンはあります
か?」
「押すたびにナンバーの上がるスタンプのこと?
6桁のでよければあるわよ」
巽はナンバリングマシンを受け取ると、来期の予算決
定に必要な領収書に、次々と判を押していく。
「登録されてるクラブとサークルの一覧は?」
「これよ」
背後の棚からファイルを取り出し、巽に手渡す。
巽は、パソコンを立ち上げる。
Windows Xp のタイトルロゴが立ち上がり、ファンシー
(?) な画面が立ち上がると、小さく舌打ちする。
メモ帳を開き、サークルの名称のリストをテキストに
打ち込む。
その名称の前に、カンマで区切ってひらがなの名称を
入れる。
例)さっかー,サッカー部
そして、なにやら黒い、クラッシックなコンピュータ
の入力画面のようなアプリケーションを立ち上げて、そ
こに二言三言打ち込む。
「何してるの?」
興味をそそられた美央が、巽の背後に立って画面を覗
き込む。
そして、黒い入力画面を見て、思わず言う。
「ハッカーしてるの?」
『それを言うならハックしてるだよ』と言いかけて、
巽は黙った。
さすがに、さっきの今なので、多少は学習したようだ。
「テキストの内容をコ…五十音順に並べただけだよ」
コード順、と言いかけて危うく飲み込みながら、巽は
テキストを開いてみせる。
そこには、順番を無視して打ち込んだサークル名のリ
ストが、綺麗に五十音順 (正確には文字コード順) に並
んでいた。
「へぇ、メモ帳ってこんな機能あったんだ」
「無いよ。Windows に標準で付いてくる、sort っていう
プログラムだよ」
「ふ〜ん、そんなことできるんだ。あたし、そういうの、
『えくせる』とかでやると思ってた」
「Excel でも 1-2-3 でも出来るけど、ファイル変換して
一々思いアプリ立ち上げるの面倒だから。それに、デー
タはテキストのほうが、後々扱い易いしね」
「? ? ? ? ?」
「く〜ち〜な〜わ〜く〜ん」
「え? あ、あああ、あがっ、いてっ、あぐぁ?」
いつの間にか背後に回っていた翔子が、巽の頭を両の
拳ではさんでぐりぐりする。
「堅気の生徒会室で、ヲタクな蘊蓄 (ウンチク)、垂れる
なっ!」
「何やったか説明してやってるだけなのに、なんでこん
な目に………」
「あんなんで説明になるかっ! 一般人をなめるな、ヲ
タクっ! 1-2-3 なんか今の一般人が知るかっ! あん
たは黙って、仕事してりゃいーのよっ!」
Lotus の全盛期に張り切って覚えた年配の方々が、悔
し涙を流しそうな科白だった。
「うがっ! うがっ! うがっ!」
「あ、あの………大鳥先輩、そのくらいに………」
見かねた美央が言うと、翔子はにっこり笑って答えた。
「木崎ちゃんは気にしなくていいのよ。こいつは昔から、
人のこと考えないで喋るんだから。おかげであたしは、
こいつの言葉理解するのにどれだけ苦労したか………」
美央はなにか言いかけたが、翔子の只ならぬ迫力に、
言葉が出なかった。
しばらくして、頭と口から煙を吐いている巽を解放す
ると、翔子は大股で自分の席へ帰っていった。
美央が声をかけようかかけまいか迷っているうちに、
立ち直った巽は、何事もなかったようにキーを叩きはじ
める。
「く、朽縄くん、大丈夫?」
巽は美央を振り返ると、首を振る。
「大丈夫じゃないけど、しょ…大鳥先輩の折檻に一々へ
ばってたら、人生もったいないから」
美央は、さっきから思っていたことを思い切って聞い
てみる。
「大鳥先輩と朽縄くんって、知り合いなの?」
巽は、ため息をついて、両手を開いて見せる。
「まぁね。家が隣同士で、母親同士が高校時代のクラス
メイトで親友だったとかで、家ぐるみのお付き合い。姉
弟みたいなもんかな」
「じゃ、じゃぁ、仲いいんだ………」
「見ての通りふだんはイジメられてるけど、付き合い長
い分、翔子………大鳥先輩には、いろいろ世話になって
るのも事実だからなぁ。こうやって借りを返せるときに
返しておかないと、一生かかって返すハメになりそうだ
から」
ふと、美央が楽しそうに笑っているのを見て、巽は怪
訝な顔をする。
「朽縄くん、意外に律義なんだね」
「借りがあるってのは、精神的プレッシャーなんだよ。
絶えず優位に立っている人間がいる人生って、ヤなもん
だろ?」
美央は黙ったまま微笑む。
巽はどうにも腑に落ちない、という顔をしながら仕事
に戻った。
しかし、キーさえ叩いていれば、三十秒とたたないう
ちにマイペースを取り戻すのが巽だ。
もっとも、マイペースというとのんびりしたイメージ
があるが、巽のマイペースは、ハチャトゥリアンの『剣
の舞』でも弾いているピアニストのように、怒涛の如く
キーを叩いていたりする。
ところが、そのうちなんだか、苛立ってきたらしく、
翔子に声をかける。
「翔子、僕の席のパソコンに、アプリをインストしてい
いか?」
どうやら生徒会室では、気取るのをやめたようだ。
「Winnyみたいなファイル交換ソフトはやめてよね」
「しねーよ。つーか、僕は家でもンなもんつかってねー
よ。P2Pなんぞ、ネット繋いで使ってたら、セキュリ
ティー、がたがたじゃん」
「ならいいわよ」
美央が再び画面を見ていると、巽は Internet Explorer
を開き、そのアドレスバーに慣れた調子でかたかたと URL
を打ち込んだ。
http://www.mozilla-japan.org/
ここで、Firefoxをダウンロードしてインストール。
「Firefoxって?」
美央が、また、つい聞いてしまう。
「IE...Internet Explorer みたいなインターネットブラ
ウザだよ。いろいろ安全だから、IE よりお勧めだよ。あ
と、タブブラウズも使えるし」
「タブブラウズって?」
ふと、『またヲタに走るな』という翔子の視線を感じ、
肩をすくめて頷く。
「百聞は一見に如かず、かな。見てよ」
Firefox を立ち上げ、Ctrl キーを押しながらリンクス
ポットをクリックすると、画面リンク先がタブで開かれ
る。
「へぇ、そんなことできたの?」
「もともとは IE のコンポーネントの NetCaptor の機能
だったっけ? 今じゃ有名どころで、この機能ついてな
いの IE くらいだと思うけど」
「便利なんだね」
「ブラウザには、いろんな可能性があるからね」
XUL アプリケーションなど、もう少し話したいことは
あったのだが、またやりすぎと突っ込まれるのを恐れ、
巽は作業に戻る。
http://www.python.org/
次に巽が打ち込んだURLは、日本語のページではな
かった。
「わ、英語だ」
「日本語サイトもあるけどね。こっちのほうが情報が早
いから」
そして、あるファイルをダウンロードしてきた。
Python-2.3.5.exe
「ねぇ、朽縄くん?」
「ん?」
「なんのプログラムかわかんないし、英語ちゃんと読ん
でないけど、その 2.3.5 とかいう数字って、バージョン
だよね」
「うん。そうだよ」
「最新って、2.4.2 っていうのがあるんだけど、そっち
にしないの?」
巽は肩をすくめた。
「事情があって、2.4 系はインストールが面倒なんだ。
僕の家のには、2.3 も 2.4 も入ってるけどね」
「ふぅん」
意外に興味を示してくる美央に、巽は戸惑いを覚える。
なんせ今まで、同じクラスに居ながら殆ど話したこと
の無い相手なのだ。
そもそも、巽がクラスの女の子と話すこと自体も、必
要以上は滅多に無いのだが、その中でも会話した記憶が
全然無い相手と、こうも長く会話しているのは、不思議
以外のなにものでもない。
いや、話したこと無かったっけ?
記憶の底に沈んだ何かが、巽の神経にちりちりと触れ
る。
ただ、はっきりとしたことは判らなかった。
「で、そのプログラム、何?」
「プログラム」
美央が、ぷく――っっと膨れる。
予想外の顔を見た巽のほうが、びっくりする。
「もう、ふざけないで」
「い、いや、ふざけてないんだけど………」
「何のプログラムか聞いたのに、プログラムって答えは
ないでしょっ?! あたしをバカだと思ってるの?」
「もしかして、Javaみたいなランタイム?」
いつの間に来ていたのか、背後に居た翔子が口を挟む。
「じゃば? らんたいむ?」
火星人の言葉を聞いたような顔で、美央は翔子を見た。
「ほら、インターネットでサイト………ホームページっ
てやつ………を見てる時に、アニメーションしたり、ゲー
ムが埋め込まれてたりするの、あるでしょ? あれ、殆
ど Java とか Flash とかいうプログラムなんだけど、そ
ういうプログラムを『動かすためのプログラム』ってい
うのがあるのよ。それが、実行環境とかランタイムとか
いうモノなの」
「そうなんですか」
わかったようなわからないような顔をして、頭をかか
える美央。
巽が、作業を続けながら答える。
「ん、ランタイムでもあるけどね。基本的にはプログラ
ミング環境かな。Java でも開発環境込みの実行環境もあ
るけど、あっちに近いと思う」
「でも、その………ぴゅとーん? ぱいそん? って、
聞いたことないわよ………」
「パイソン、だよ。モンティパイソンのパイソン」
勿論、イギリスBBSの伝説的なコメディー番組"Monty
Python's Flying Circus"のことである。
「モンティパイソンって、あの『き○がいコメディー』
の『空とぶモンティパイソン』?」
きち○いはないだろう、と巽は思ったが、確かに過激
なギャグで有名ではあるので、あえて反論はしない。
「そのモンティパイソンから名前をとったプログラミン
グ言語とその実行環境だよ」
「………なんか、一回実行するたびに、スパムが増えて
くとか?」
モンティパイソン観てない人には、わからない冗談を
言わないで欲しい。
「いや、意外かもしれないけど、言語自体はきわめて真
面目なつくりだよ。単に作者が Monty Python のファン
だっただけの話で」
よく考えてみると、Python という名前の真面目な言語
というモノ自体、洒落なのかもしれないが。
「そ、それで、プログラムを動かすプログラムを入れて、
朽縄くん、何をするの?」
なんだか無理やり翔子との会話に割り込むように、美
央が聞く。
そういえば、翔子も結局は美央と巽の会話に割り込ん
だわけだが、こちらは年季が入っているのか、かなり自
然だった。
二人の女の子の行動は、よくよく冷静に考えてみれば、
妙といえば妙だった。
が、そういうところを全く気にしないのが、巽であっ
たりする。
「何って………仕事」
「………朽縄くん、もう少し省略しないで、言って」
「会計のお仕事」
「まだ短い」
「データを解析可能なフォーマットで入力して、活動費
の使用状況及び活動状況などをパラメータ化し、次年度
予算のための資料を作成するのが、当面の仕事かな?
さっき聞いた羽島先輩の話によれば………」
「………ごめん。聞いたあたしがバカだった」
しゅん、となる美央を見て、翔子が思わず巽を、どつ
く。
「な、何するんだよ」
「木崎ちゃんにあやまりな」
「な、何でだよ。僕、なんか悪いことでもした?」
「そういう考え無しなのが悪い。ともかく半期生徒会や
ってる間、あたしが人との付き合い方、徹底的に仕込ん
であげる。ともかく、あやまりな」
「あ、木崎………ご、ごめん」
翔子の迫力に押されて思わず謝る巽に、美央はなんだ
か妙にあわてた。
「え? あ、朽縄くんがあやまる必要は………だって、
聞いたのあたしだし………」
と、巽が、素早く耳打する。
「いいから今は納得しといてくれ。翔子が、ああ言い出
したら、論理もへったくれも無いんだから」
「あ、う………、うん」
なんだか収まりの悪いモノを飲み込んだようなヘンな
顔で、美央が頷く。
そしてその様子を、なんとも言えない、居心地の悪い
顔で見ている翔子だった。
でも、巽は全く気付かなかったし、気にしなかった。
☆ ☆ ☆
その夜、食事を終えて自分の部屋でキーを叩いている
巽のところへ、翔子が訪ねてきた。
「相変わらずの部屋ね………」
本とCDと、謎のディバイスが散乱した部屋。
ベッドの上も寝るスペース以外は本が積まれ、ディス
プレイを持つ3台のパソコンのうち1台と、そしてプロ
キシサーバ用のパソコンが駆動音を発している。
動いていないパソコンのうち一台は iMac で、インテ
リアにしても違和感のないその優雅な機体が、ゴミに埋
もれかけて悲惨な状態になっている。
翔子は、慣れた足取りでベッドの一角に座る場所を設
け、そこに勝手に座った。
幼なじみといえど、異性であるなら一定の年齢に達す
ると行き来が少なくなるものだが、翔子は平気でちょく
ちょくこの部屋に来ている。
特に用も無く来ることも多いので、巽も全く構わずに
キーを叩きつづける。
「それって、生徒会のデータ?」
ひょい、っと背後から翔子が覗き込む。
巽は振り向かずに頷く。
「費用や活動実体に関しては、過去5年くらいはさかの
ぼってインプットしときたいからね。しっかし、パソコ
ンが入って結構経ってる筈なのに、誰もデータを入れよ
うとしなかったってのが、未だに信じられないんだけど」
「ああ、うちの生徒会の会計って、代々機械音痴な人が
担当してたんだって、顧問の先生が言ってた」
「………なぜに会計? というか、会計って一番そうい
うの強そうな人がやるべきじゃ………」
「そのかわり、暗算とか算盤 (ソロバン) とか強い人が
やるんだって。羽島先輩も、確か珠算何級とか持ってた
と思うけど………」
「………平成の御代だよな、確か今は。まだ、戦争やっ
てた昭和、ってこと無いよな。なんでそんなアナクロデ
ジタル演算機械が現役なんだよぉ………。せめて、電卓
とか………」
「さぁ? 電卓より算盤使った方が早いからじゃない?
ちなみに、十年前までは五珠(ごだま)使ってたとか
………」
「僕の記憶からすれば、十年前もすでに平成だったと思
うけど………五珠なんて骨董品、昭和中期までのシロモ
ノじゃんか」
算盤は、最終的には上の段に一個、下の段に四個の珠
がある四珠の形になるが、その前に、上の段に一個、下
の段に五個の五珠と呼ばれる型の算盤があった。
「ふぅ、これじゃ、計算尺やタイガー計算機が出てきて
もおかしくないな」
「えっと、生徒会の備品の中に確か………」
「………もう言うな」
計算尺は乗、除、累乗、累乗根が簡単に求められるモ
ノサシ型の器械、タイガー計算機は、手回し式の計算機
である。
ちなみにタイガー計算機は、当時結構高価であり、金
持ちの学校に一台あればいいところというとんでもない
シロモノである。
「手動計算の歴史の時間はともかく、僕が入った以上は、
せめて現代並にIT化させてもらうよ」
「うんうん。そうしてくれると、あたしも助かる。でね、
ついでに………」
ここで、非常に珍しく、翔子が口ごもった。
「ついでに?」
「ついでに………あたしにも、プログラム教えて」
「……………」
「……………」
「……………」
「……………ちょ、ちょっとぉ、なんで黙るのよ?」
「………な、なんでいきなり?」
記憶にある限り、翔子が巽にモノを教えろと言ったこ
とは無かった。
なんせ器用なので、巽にできることは翔子には殆ど出
来たからだ。
「別に、覚えてたら便利かな、って思っただけよ」
翔子の不自然な態度に、巽は疑惑を深める。
「つーか、僕に習わなくとも、翔子なら本でも読んで、
直ぐ出来るんじゃない?」
ここで、さらに珍しいことに、翔子はなんだか照れる
ように、頭を掻いた。
「えっと………実は、あんたが出来ることだから、あた
しにも出来ると思って、始めたことあるのよ。ところが、
入門者用って本でも、結構難しくて………」
巽は少し考えて、そしてあることに気付いて聞いた。
「入門者用の本って、どんなプログラミング言語を扱っ
てた?」
「え? プログラミング言語って………Cとか Java と
か………」
予想通りの答えに、ため息をつく。
「そりゃ挫折するよ。もっと初心者用の言語から始めな
いと」
「初心者用の言語ってなによ」
「そうだなぁ………」
巽は、山積になった本のなかから、一冊の分厚い本を
掘り出して、翔子に手渡した。
「何、これ。『初めてのPython』?」
「うん。簡単な言語は、他にも JavaScript とか
VisualBasic とかあるけど、僕はそれを勧めてる。ハッ
カー予備軍の入門用言語とも言われてる」
「別にあたしは、ハッカーなんかになる気は無いわよ」
「っていうか、なれないよ。僕だって多分無理だね。ハ
ッカーってのはプログラマの中でもごく優秀な一握りの
人の尊称だからね。なろうと思っても、なかなかなれる
もんじゃない。僕が言いたかったのは、ハッカーと呼ば
れる優秀な人が、この言語から学ぶのが良いと勧めてる
ってことさ」
「ふぅん、ハッカーお墨付きの言語ね。これ、今日学校
で落としてた(ダウンロードしてた)やつよね」
「うん。使いやすいから、僕も自分の使うパソコンには
全部使えるようにしてる」
「有名な言語なの?」
「うん。スクリプト言語………簡易言語の中では、Perl
の次くらいにメジャーだよ」
「Perlは聞いたことある。たしかWebで使う言語よね」
「確かにCGIは、圧倒的に Perl で書かれてるのが多
いけど、別に他の言語でも……… Python でも書けるよ」
「でも、メジャーっていうけど、あたし聞いたこと無い」
「………なんでか知らないけど、日本での知名度がやた
ら低いんだよ。いいプログラミング言語なのになぁ……
…」
「ん、わかった。まずはPythonで始めてみるね」
「それがいいよ」
「じゃ、明日から習いに来るね」
「え?」
翔子は、『初めてのPython』を巽に返した。
「これ、簡単かもしれないけど、厚すぎて、読む気無く
す。巽に教えてもらったほうが楽そうだし」
「あの………」
「あんたも、一つくらいあたしに教えるのって、優越感
が味わえていいでしょ?」
「……………」
「じゃ、遅くなるから、今日は帰るね」
「……………」
「明日からよろしく、先生」
「……………」
翔子が部屋を出てから約三分、巽は硬直していた。
そして巽の、生涯で一番長い悩みの時間が始まった。
<はじまる>
解説(ツッコミ+α)
---P IS NOT PYTHON ?---
ついに、無謀な連載開始に踏み切りました。
一応10回(今回を除く)程度までは週一ペースくら
いで発表する予定ですが、それ以上は続くか続かないか
は神のみぞ知るです。
プログラミングの入門用言語としての Python を紹介
する方法として、ライトノベル風な読み物を書くという
構想は結構前からあったのですが、プログラミングも小
説も正真正銘の素人なので、正直今まで躊躇していまし
た。
が、なにかある日突然電波が降りて、気がついたら書
くことになっていました。
一応、作中で殆どツッコミを入れているので説明は必
要無いと思いますが、蛇足程度に解説を書いておきます。
・タイトルについて
言うまでも無いと思いますが、レイ・ブラッドベリ (Ray
Bradbury) の「ウは宇宙船のウ (R IS FOR ROCKET)」を
文字ってつけてあります。本来なら Monty Python 系ギ
ャグからつけるべきなのでしょうが、現在まだ Monty
Python ネタのストックが少ないので、いろんなトコから
ネタをとっています。
・使用バージョンについて
基本的に Windows 版の Python-2.3.5 を対象とします。
インストールで msi 形式を導入し、さらに msvcr71.dll
というあまり一般的でないランタイムを必要とする 2.4
系は、どう考えても入門者にはいらない戸惑いを与えそ
うなのでやめました。2.4 系の内容自体は気に入ってい
るので、私としても残念なのですが………
なお自分自身は、現在 Win 版の 2.4.2 と 2.3.5、
Zaurus 版の 2.3.3、及び MacOS X 用 (Panther) の 2.
3 を使ってます (Tkinter がプレインストールの Tiger
を店先で試してみようとしたら、コンソールが見つから
なかった………どこ消えたんだろ?)
・Firefox
Mozilla2.0 にて Python が XUL 用スクリプトとして
使えるようになる筈なのだけど………ロードマップが出
て以降、噂を聞かないのは何故でしょうか? そういえ
ば、Squeak でも似たような話が出てたような………
・MMRPG(Massive Multi Role Playing Game)
ラグナロックオンラインみたいな、大規模参加型のネ
ットワーク RPG。学生時代にコンピュータでない(日本
でいうテーブルトーク) RPG にハマった私としては、
MMRPG は、ハマること間違い無しなので怖くて手が出せ
ない分野でもあります。
・『初めてのPython』
もちろん、第二版がお勧め。私のアヤシゲな素人小説
を読むよりも、確実に Python が学べます。ただ、若干
高価なので、図書館とかで入れて戴けると嬉しいのです
が………
※FireFox→Firefoxのスペル、ご指摘により修正しました。