📘 芥川龍之介について

2021/6/02

📘 芥川龍之介について  ひとには性格が自分に似ているがゆえに好きな作家と、似ていないがゆえに好きな作家があると思います。 芥川龍之介という作家は、わたしにとって前者です。 彼は友人のすすめで童話を何編か書いていますが、それはとりもなおさず、少年の心を失わなかったからでしょう。


 全集を読んでいると、「夏目先生はちょっとしたことでもよくおこった」というところがあります。 さらに読んでいくと、芥川自身について「書き出すとよく、かんしゃくが起こる。……ものを書く時は、よく家のものをどなりつけた」とあります。 なんだ、私と同じじゃないか(こういうところだけ似ても仕方ないのですが)。

 童話かどうか不明ですが、「仙人」という作品があります。

 大坂へ奉公に来た権助という者が口入れ屋へ来て「仙人になれる所へ連れていけ」といいます。 口入れ屋が困って医者に相談すると、そこの女房が「うちへ連れてこい」といいます。 連れていくと「20年一文の給金なしで働いたら仙人になる方法を教える」というのです。 20年たち、権助が願いをいうと、女房は松の木のてっぺんへ登って両手を放せといいます。 両手を離すと、権助は落ちることなく大空を歩いて去っていったというところで終りです。

 えっ、というような話で、近現代と古代と、夢と現実がまじっています。 私的にはファンタジーに分類したいと思います。 彼には、こんな短編がいっぱいあります。 「杜子春」も「蜘蛛の糸」もこの種のファンタジーだといえます。

 概して、今昔物語や聊齋志異などの故事にこだわり、自然描写などはあまりしない方ですが、全くしないわけでもありません。

寒い霧の一団が、もう暗くなった谷の下から、大石と這い松との上を這って、私たちの方へ上ってきた(槍ヶ嶽紀行)。
檣に瑠璃灯懸けよ海の秋(句集)

 後の句はわかりにくいですが、船のマストにルリ色の鳥が飛んできた、もう夕方なのでランプに灯をともそう、といった雰囲気の美しい句です(芥川は湘南の別荘によく出かけています)。 しかし、彼の真骨頂は小説よりも雑文にただようエスプリにあっただろうと思います。 シャイでありながら毒舌な、特別の個性で、それが嫌味にならなかったのは親友の菊池寛も言うように元来がモラリストだったからでしょう。

地球は円いと云うことさえ、ほんとうに知っているものは少数である。大多数は何時か教えられたように、円いと一図に信じているのに過ぎない。なぜ円いかと問いつめて見れば、上愚は総理大臣から下愚は腰弁に至る迄、説明の出来ないことは事実である。
世論は常に私刑であり、私刑は又常に娯楽である。たといピストルを用うる代りに新聞の記事を用いたとしても。(侏儒の言葉)

 非常に痛烈でありながら、正鵠を射ており、全く古びていません。 特に後者は、今のメディアや政界がSNSなどに振り回されている様子そのものではないでしょうか。

 家内や子供たちは、お父さんの読む作家は古いと言いますがゲーテは「生れが同時代の人間から学ぶ必要はない。 何世紀も不変の価値、不変の名声を保ってきた過去の偉人にこそ学ぶべきだ」といっていると開き直っています。

 それにしても、彼が若くして自らの命を絶ってしまったのは残念です。 思うに、彼の偉大な批評精神が、自分自身にも向けられ、芥川はそれに耐えられなかったからなのでしょう。 現代もメンタリティーが問われる時代といわれます。 いくら凡人には無関係とはいえ、いや無関係だからこそ、気をつけておきたいものです。

※冒頭の写真は芥川龍之介電子全集(全340作品) 日本文学名作電子全集(無料)の表紙です。

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