夫は海外へ


子供がやっと7ヶ月になった頃、突然夫は、その当時のビルマ、今のミャンマーに1年間の出張になり1人単身赴任することになりました。
「大丈夫よ。私一人でも」とけなげに言って(本当は、暑い国には行きたくなかった)夫は心配そうに「これだけは約束してくれ車が空くけど、心配だから車の運転免許だけは取らないように」事故を一番心配していた夫はだけには乗らないようにと固く釘を刺しビルマへと旅立って行きました。
翌日、空いた車をながめながら、もったいないよね。今免許とらなくて何時取るんだ! 鬼のいぬまに取らなくちゃ。俄然その気になって自動車学校に電話をしました。それからすぐに田舎の実家に帰り、子守を頼んで私は自動車学校に入学しました。自動車学校には色んな人がいて60歳過ぎた人や若い人。さまざまな人がごちゃ混ぜで入学し、併せて少し前に入学した人がやけに立派に見え、車を運転している人は、尊敬のまなざしで皆見ていました。運転は楽しく、学科は苦手だったけど、友達も出来、運命共同体の仲間達は大変だけど、久々の緊張感に満ちた毎日を送っていました。何とか本試験に合格!!その日合格した仲間5,6人で打ち上げパーティ!楽しかった!おまけに60歳になって初めて免許に挑戦して同じ日に合格したおじさんが皆の食事代を出してくれ大いに恐縮したけど、その後一度も会うこともないおじさん、今頃どうしているんだろう?


夫は、首都ラングーンからガタガタな電車に揺られ6時間もかかるトンボという田舎で車工場の立ち上げの技術指導という名目で行って、実は最初の2ヶ月位はたいして仕事も無いので現地のスタッフに竹とんぼの作り方や、箒の作り方等教えていたらしく、手紙は届くけど電話は無かったので自動車学校の事も知らないまま暢気に生活しているようでした。
手紙によるとビルマという国は男も女も仕事には区別が無くて、夫婦揃って仕事にやってくるのは当たり前で、子供連れで会社に来るのも珍しくなく、子供の世話をしながら仕事。それも日本と一番違うのは、明日でもいいことは今日は絶対にしないこと。これには日本人は皆まいったらしい。
それに雨季になると今まで道路だったところが水没するので、家の中にやにわとりなどの家畜も皆一緒に一軒の屋根の下で生活が始まり、日本では考えられないほど不衛生な生活だったらしく、少々の不衛生には慣れっこの夫もこの時ばかりはびっくりしたらしい。
又、ビルマの男性の半分は、オカマと言われるくらい女装がうまく、と言うのはビルマの男性の体はきゃしゃで細いので本当に綺麗でよく似合っていたらしい。又、残りの半分は、僧侶になっているくらいお坊さんが多く、仏教徒の国らしい独特の環境であったようです。
に写った色々なgazouを見ていると日本の昭和20年代という感じで懐かしい写真が沢山あり、ドラム缶のお風呂、子供をおんぶした格好等戦後の日本を見ているような一昔前の日本がそこにはありました。見たことも無い民族衣装、女性の変わったお化粧、タナカという木の絞り汁からとる日焼け止めのお化粧品をべたべた塗ると真っ白けで最初びっくりしたらしいけど,日本に送ってきた写真をみると顔中真っ白けに、タナカを塗った夫があちらの民族衣装に身を包んでにんまりと嬉しそうに笑っていました。
当時ビルマは社会主義の国ではありましたが、産業にも力を入れていて、国産初の自動車の生産を目標にしていました。
夫は日本では平凡なサラリーマンでしたがあちらではVIP待遇で出掛けるときは兵隊さんが付いて来るし、お正月には日本大使館に呼ばれて一緒に新年の祝賀会に出席しその贅沢さに驚いたといっておりました。祝賀会にはわざわざこの日の為に日本から料理人を呼び、寿司職人は握りずしを握るためわざわざ寿司の材料一切を持ち込んでの本当に贅沢な宴会でビルマでの質素な生活に慣れていた夫は目を丸くするくらい驚いたと手紙に書いてありました。
約1年が過ぎたごろ日本にもどれる日も近づき、しかし最初遊んでいた分仕事も立て込んできて忙しく帰国準備もままならず、とりあえずビルマの人達がほしいと言った物は全てあげることにして身を軽くして日本に帰ることにしたようです。持って行ったもので持って帰ったのはカメラと時計だけ、他の電化製品など等、又衣類は着の身着のままで、全て後はおいて帰りました。
後は現地でもらった給料をどうやって持って帰るかという事だけで、というのはその当時今は判りませんが、外貨持ち出し禁止の国で、使おうにも何も買う物が無くてそのままになっていたお金が沢山ありました。
親しくなった現地の人に内緒で相談すると、ある日宝石商を呼んできてくれて残ったお金を全て宝石に変えてくれたとか、かさばらないのでバッグの隅っこに入れて持って帰ってきました。
宝石に無頓着な私から見ても結構大きなダイヤモンドやルビーはとても綺麗で今でもそのまま何の加工もしないで、持って帰ったその時まま綿花に包んで箱に入っています。
今考えると、きっとこんな形での持ち出しも違法だったのではと思いますがもう時効ですね。きっと。
その宝石に興味を示したのはむしろ子供たちで、事有るごとに「母さん宝石見せて」というので綿花に包んだそれを広げては親子揃ってながめて「あんた達がしたらこれで奥さんになる人にこれを加工してをプレゼントすればいいよ」と言っていますがしかし,これも早い者勝ちだな〜!

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