
結婚式当日、2人が
で式場に向かっていると、途中国道2号線でゴン!!
と何か車にぶつかる音がしました。見ると大きなトラックが
隣にいて運転手の人が体を乗り出して何かを言っているのが見えました。そこでやっとどうやら接触事故を起こしたんだと思ったけど、浮かれていた私はなぁ〜んだ別に怪我してないしと、のほほんと車に乗って待っていると
のお兄さんが何やらすごい剣幕で怒っていて、えっ!私たちが悪かったの?とやっと事の重大さに気が付いて私は青くなりました。車からあ降りた今日夫となる人は何やらぐちゃぐちゃとトラックのお兄さんと話をしていたけれど私は怖いのが半分、自分が運転していた訳じゃないしと言う無責任が半分で車から降りずに待っていると、彼がニコニコしながらに戻ってきたので理由を聞いてみると、本当は自分が車線変更のウインカーを
出すのが遅れたのが悪いので、こちらに非があるんだけど、ウインカーを見落としたあんたが悪いと言ってつっぱねたら相当怒っていたらしくお前は、どこの出身だと聞かれてとっさに呉の阿賀だと答えたらさっと態度が変わってもういいからあっちにいってくれといわれた、と話してくれました。えー!どうしてと尋ねると昔、呉の阿賀には暴力団がいて知る人ぞ知る有名な土地柄であったらしい。彼は見かけが強面であったのでトラックのお兄さんは、ちょっとかかわりを持ちたくなかったようだ。まあともあれ無事に結婚式に遅れることも無く
なんとか支度も間に合って公民館で地味な結婚式ではあったけれど、何とか両親も姉妹たちも揃って出席してくれて、にぎやかな中にも厳粛に式は進められていきました。とその時、式の進行役をしてくれていた人が指輪の交換ですと言ったのでビックリして、私は、指輪なんて邪魔臭い物はいらないわ。と何も用意していなかったので咄嗟にあたりを見回し指輪をはめている親族を探しました。
夫の妹夫婦が指輪をしていたので、咄嗟に’’借して!!’’とお願いして無理やり妹夫婦から指輪を抜き取り、にわかに間に合わせることにしました。
やっと指輪も揃い式も再開しましたが、私の指には妹の
指輪はゆるゆるで今にも抜けそうで
ぐーに指をしとかないと外れそうで結婚式が終わるまでにこやかにぐーをしたまま。疲れたぁ〜!!にぎやかに
も終わり、出席した人もそれぞれに帰路に着き、本当はそこから新婚旅行なるものが始まる手筈になっていたのに、あろうことかその夜から夫は会社の研修が10日間控えており服を着替えるなりさっさと研修会場にいってしまいました。
しょんぼり私は1人で家路につき、あまりに疲れたのでそのまま寝てしまいました。翌朝何事も無かったように1日は始まり、いつものように会社に出掛けました。会社に着くなり皆が駆け寄ってきて「あんた、どうしてここにおるん!!」とびっくりされ、結婚式の次の日に会社に出てきたのはあんた位のものだと皆呆れていました。
そんな訳で、私としたらそう奇異でもないと思っていた結婚式も傍から見れば随分異例な結婚式だったみたいで、結婚後もそう変わった生活と言う風でもなく、只、夫の食事は
大食漢なので、毎回鍋は空っぽ、私の分もうっかりしていると食べられて泣き泣き腹ペコを我慢していたことも何度もあり、その当時夫は、変則勤務で2日、日勤をしたら、2日夜勤、2日休みという生活で、私は週休2日、休みは変則の昼間勤務で、あっ!と気が付いたら1週間会って無かった。という事もあって、食事を目一杯作って
置いたのに、帰ったら私の分は空っぽで、しびしぶ又作っていたら、出来上がった頃には疲れ果て、そのまま食べずに寝てしまって、入れ替わりに帰った夫は又全部食べてしまっているという悪循環で、結婚したのはいいけど私は栄養失調気味で、体重は、40キロ位になり何か体調も悪くなり、毎日が疲れ果てた状態で、夫は仕事がきついんだろう。やめたらどうか?などと優しく進めてくれたけど、原因はあんたなのよね。(>_<)
しかし、休みが合うとすっかり元気になり近くの山々に出掛けて楽しんでおりました。夫と出掛けると良いことに
がいるので私は、手ぶらで暢気に山歩きをしていました。
芸北の山々鳥取県大山、九州の九重山、遠くは富山県立山連峰まで出掛け、夫は山に関してだけはプロだったので、私はただ付いていくだけで、
山歩きのイロハを沢山教わりました。前日の準備が山登りの半分を決めるのだとか、山は、技術ではなく最後は体力なんだetc・・・半分聞き流しながら、それでも休むタイミングだとか、最初から最後まで歩くスピードは変わらないけど疲れない歩き方だとか、どこを歩くと足に負担が掛からず関節を痛めないかなどなど・・・目からウロコのように教えられる事も沢山ありました。