私の先祖から

父と母の出会い

昭和22年戦後間もなくの3月3日のひな祭りの日、父母はをしました。この日まで2人にとって学校の同級生であるらしいという事意外情報は無く、いったいどんなやつだろうと疑心暗鬼になっていました。かなりいい加減に決められた結婚式は、父が婿入りをするということで母の家で行われました。
出会った瞬間 えっ!この人??なあ〜んだ。2人ともがっかりしたらしい。(ーー;)
新婚生活は、30羽の飼育から始まりました。
当時戦後間もない頃の世間では、ニワトリの卵20〜30個で2人の生活は、十分でかなりの貯金も出来る位だったという。
そしてあろうことかのお陰でも新しくなりました。
昭和24年長女が誕生し、その後次々と産まれる子供は全員女の子ばかり。両親共
3月3日に結婚したことを後悔したのか、後年長女が結婚するときは5月5日に挙式を決めました。


新婚生活が始まって間もないころ母は、後年 あれは、高かったのよ!と口癖のように言っていたものが実は、何の変哲も無い汚いフライパンでした。
こんなピカピカではなく、私の物心ついた頃には、すでに相当使い込んで食べ物が入る所以外は、黒い油が厚くへばりついていました。
しかしこのフライパンは、なぜか50年以上の手荒い使いっぷりにもめげず、これ一つで全員が大きくなりました。玉子焼き、ホットケーキ、すき焼き、天ぷら、焼肉、焼き魚、炒め物と毎日大活躍、この汚いフライパンを見ずに生活することはありませんでした。
最も活躍した料理は、お豆腐といろんな野菜の煮込み料理で、子供達は嫌々食べておりました。その後フライパンは、いろいろ新しいのをもらったり買ってみたりして、数はふえてきましたが、このフライパンは、なぜか捨てられることも無く、結局気がついてみるとこれだけが健在で、やっぱりいいものは長持ちするねー!!と感心していました。

父の婿入り道具のなかの一つに箪笥の他にブリキで出来た洗面器がありました。
どういう訳かこの洗面器はボコボコになって,形がかなり変形していました。
子供心に、洗面器というものはこういう形の物をいうのだろうと思っていたら、ある日友達の家で見た洗面器は、こんなボコボコは在りませんでした。
初めて本来の姿を知って、ちょっとカルチャーショック!なぜ我が家の洗面器は、こんな哀れな姿なのか?よくよく注意してみると、夫婦喧嘩の八つ当たりにこの洗面器は、犠牲になっていたらしい。かわいそうに私がの頃には廃品回収に出されていた。

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