パート5
常識で考えると、病というものは治療すればそれなりに好くなるはずなのに、夫の場合は治療しても体力を削ぐだけで何も好転しませんでした。 ここにきてやっと最初先生から治療しますか?と聞かれた意味が理解できました。
病院の先生はどうも最初からこの状態がくる事を判っていたに違いない。そうとも知らない私たちは何とかしようとあがいて、あがいて、結局こうなるまでこの病気の事を理解出来なかったようだ。
そう考えると病院の先生とは言葉のもつ力に毎日悩んでいるに違いない。
あれこれ状況を考えて残念に思いながら、夫の病院を変えてもらうことにしました。ホスピス病棟のある家から近い病院に転院することに。医師は最後まで治療する事を望みましたが、毎日見る夫の体力をみるとこれ以上の治療は寿命を削るだけのように思えたからです。それに何より一時でも一緒に過ごせる環境が一番大事と判断したからです。
転院し個室に移ったので、時間に関係なく出入り出来るようになり、毎日の大半を私は病室で過ごすようになりました。転院してから夫は病院のお風呂に入ったり、散歩で近所を歩いたりと、比較的落ち着いた日々を過ごすようになり、このままの状態が永く続くことを願っていましたが、やはり寿命は待った無しで夫を連れ去ってしまおうとしていました。
秋が深まるにつれ命を削ぐように夫は衰弱していきました。それでも気に入った看護師さんに冗談をいい、私にはあれが食べたいこれが食べたいと言うので、私は食材探しに買い物ばかりに出かけていました。
年末になり、子供たちが冬休みになり8時間交代で病院に詰めることにしました。
ある日会社で仕事をしていたら子供が「お父さんが呼んでいるよ」と言うので急いで病院に。夫の強い勧めで仕事は短時間ではありますが続けていました。病院に着くと夫は私に”先に逝って申しわけない。結婚するとき君のお母さんに幸せにすると約束したのに、途中で投げ出す事になって、お母さんにあの世に行って叱られる。”と言うのです。
私は”今度生まれ変わっても一緒になろうね”と答えました。夫はこの機会を逃したらもういえないと判っていたのでしょう。それから2日後静かにあの世に旅立ちました。本当に幸せそうな顔をして亡くなったのがなりよりの慰めでした。

病気がわかってから僅か9ヶ月、入院して3ヶ月余り、この年は夫の父から始まり、僅か1年の間に3人があの世にいってしまい、3年間に5人の身内が亡くなるという、あの世ラッシュになってしまったのです。
しかし、その後も血こそ繋がっていませんが身近に亡くなる人が相次ぎ、夫の義理の弟、夫の知人、いとこ
などその後1年くらいは何かとラッシュが続き、これはまるで電車の相乗りみたいだと不謹慎にもおもいました。
これだけ相次ぎ身内を亡くしたのは私以外いないのではないかと思ったら、世間ではどうもよくある現象のようで、不思議と皆口々に、一度に何人も短期間にあの世に行ったというのです。
ふ〜ん。なるほど、あの世でも仲間が要るに違いない。私もいつか仲間として呼ばれるに違いない。
しかし、私はまだこの世で何か役割が残されているのだろう。
ごめん、父さん、私はまだこの世でやり残したことが沢山あるのよ。子供たちの行く末もみないといけないし
、だって、子供の事を心から喜んだり気になっておろおろするのは親をおいてほかの人には出来ない事だからね。それまで待っておいてね。もう散々仲間を連れて行ったでしょ。そのうち仲間入りするからね。待っててよ〜。