パート2
 1999年12月のある日、夫も私も仕事が休みで家でのんびりしていると朝1本の電話がかかってきました。
私の姉から母が具合悪いというので病院はどこに連れて行こうかという電話でした。歳もとしだし総合病院のほうがいいんじゃない?ということで家から1時間位の総合病院に行くことに。その間体の不自由な父は末の妹に看てもらって私も夫と病院に行って見ることにしました。月曜日ということもあってそこの総合病院は大入り満員、どうしてこんなに病人が多いのかびっくりしてしまいました。案の定母はまだ待合室にいましたが待ちくたびれたのかやってきた夫と私を見てうれしそうでした。病院には前もって電話していたと言う割には待つこと3時間、元気な私達ですら嫌になるほど待ってやっと順番がまわってきました。診察室に歩いて向かう母。歩く姿を見たのはこれが最後だとはその時予想だに出来ませんでした。
母が診察室に入って5分位すると急に周りが慌しくなり看護師さんたちが大慌てでベッドを診察室に運びいれ何人もの看護師さんが集まってきました。姉も私も誰か急病人が出たのかな?と呑気に思っていてベッドに倒れているのが母だとわかった時は心臓が飛び出るくらいびっくりして何がなにやら分からないうちに手術をしますとのこと。どうやら心筋梗塞を起こしていたようで先生に見てもらっている間に又大きな発作があり、すぐ緊急手術の必要があるとのことでした。すぐさま手術の同意書、入院の手続き、もろもろ、私は何故か足が震えて字なんか書けません。書類は姉が几帳面な字で書いているのを見て何て私は気が弱いんだろうと嫌になってしまいました。なぜ歩いて診察室に向かった母が今この場で意識も無い状態なんだろうと不思議でなりませんでした。
どきどきしながら手術を待つこと2時間、その前をなにやらベッドに乗せられた人が通っていきました。明らかに亡くなった人でした。その先をみると霊安室とありました。何で手術室と同じ並びに霊安室があるのか解せませんでしたが、このタイミングにもなにやら不吉なものを感じずにはいられませんでした。姉と夫は(病院の先生の前で倒れるなんて母は運が良かった。)これで助かると楽観していましたが、何故か私はどきどき感が納まらずパニックに弱い自分が嫌になっていました。
無事手術を終えて母は意識も戻り、意外におだやかに落ち着いていました。その日に先生から退院予定日まで詳しく説明があり、私の心配は取り越し苦労だったと安堵しました。
母はお正月までに退院出来ないことが不満らしくブツブツいっていましたが、3週間したら退院できるんだからと説得して我慢してもらうことに。
しかしその3日後、会社で仕事をしていると又電話がありました。今度こそ本当に心臓に悪い知らせで、母は危篤状態だということでした。何がなにやら判らないまま病院に直行。しかし大急ぎで行っても母は治療中なのかそこにはいませんでした。付き添っていた姉はお昼まで何事も無く順調だったのにと興奮さめやらぬ声でうろうろうろたえていました。
父、姉妹親戚もいっせいに集まりなにやら重苦しい空気の中、やっと母に会うことが出来ましたが、母はもう意識もなく、呼吸も自分では出来ないようでした。私は頭が真っ白というのはこんな状態をいうのだろうと思いましたが、心臓だけはパクパクして思考がストップした状態でした。
本当にあっという間の出来事だったのにそのシーンは何故かスローモーションで細切れのように記憶に残りました。母は生まれて初めての入院であれよあれよという間に亡くなってしまいました。
75歳でした。