1995年3月突然田舎の母が父の具合が悪い と連絡してきました。元々高血圧の上に野菜嫌い、塩辛いもの大好き人間、その上お医者さん大嫌いだったのでいつかはこんなことにとは思っていましたが、父はまだ70歳、もう少し元気でいてもいい年齢だったので突然のことにびっくりしましたが、母は気丈でてきぱきとしていたので、それほど心配もしていませんでした。
病名は脳梗塞、心配していなかった割には後遺症は強く残り、 右半身麻痺と言語障害が強く出てしまいました・何ヶ月にもわたる 入院生活で、母も献身的に介護していましたが、障害は克服できないようでした。
突然何もかもが変わってしまった父は、その生活に慣れるまで相当の苦労と又リハビリ も大変で、病気は父の人生を大きく変えてしまいました。運命共同体の母は最初頃は気丈に対処していましたが、何年にも渡る介護に少しずつ疲れが見え始めていたのも気になる事でした。
しかし父は言葉こそでませんでしたが、畑の 取りや身の回りのことは進んで出来るまでに回復していきました。おもしろいことに父は言葉はでませんでしたが、普通に聞き取ることは出来ました。頭の中は思ったより複雑で、しゃべる脳 と言葉を理解する脳は別々のところなんだと不思議な気がしました。
私たち姉妹は父がしゃべれないのをいいことに何でも父に話をしました。
父はよく聞いてくれたし、都合のいいことにその話がどんな話であれ他の人に漏れることはありませんでしたから。
父は私たちの本音を一番聞いてくれた人として絶対的な存在感を持つようになったのは皮肉なこととしかいいようがありません。
不自由な体でも 父は元気で、左手でお酒も飲み食事も相変わらず偏食しながら好きなように生活していました。
しかし、毎日の生活すべてを面倒見ていた母はどこにもいけず、唯一私たちが里帰りしたときだけ買い物に出かけたりで、母は何年にもわたり母の人生そのものも大きく変わってしまいました。
よく考えると,母は男運 には恵まれていなかったようです。若い頃大好きだった父親と兄には早くに死に別れるし、子供は全員女の子だし、夫は結婚式で出会ったとはいえ必ずしも気に入ったとは言えなかったようだし、ここにきて障害を持った伴侶の世話に明け暮れる羽目に。
しかし、母はどうしてこんなに献身的なんだろうと感心するくらい父を本気になって 世話をしていました。
もう少し手抜きをしてもいいのでは思うくらい誠心誠意父に尽くしている母を見ると、若い頃、父の事をブツブツ文句言っていた姿はどうしたんだろうと戸惑ってしまいました。
私たち姉妹は父のことより母が倒れてしまう事を一番心配していたのに、母は心痛のあまりかなり太っていた体が帰省するたびに細くなっていきました。
私は食べなくても太るみたい と言っていたのに今度は食べても体重が減るのだと訳のわからない事を言っていましたが、注意して見ているとやっぱり食は細くなっていました。
体重が増えるのはやはり幸せ係数なんだなと感じていましたが、母にはスリムになって良かったじゃないと慰めていました。痩せたと言ってもどういうわけかお腹周りは大して細くはなっていませんでしたから、ダイエットって思うようにいかないものだと改めて感じさせられました。
そして、12月の終わりもう少しで年が変わるという年末、恐れていたことが突然起こってしまいました。
|