子供の頃には、時代も時代で家族旅行 なんて行った記憶もあまりなく、ましてやお泊り旅行なんて行ったこともなく、どんなに思いだしても動物園に行ったのが1回と 、どうでもいい相撲の地方巡業に連れて行ってもらったのが一回だけ。 ましてや相撲巡業に行ったときトイレが無くてあたふたした思い出しかなく、死にそうなくらいトイレを我慢してもついにトイレ は見つからず、仕方なく裏の方に人目を避けてしたのが唯一の記憶なんて余りにも情けなく、成人してからはその反動かやたら旅行に行きたくなりました。
就職してから最初に行った信州のタカボッチと言う山 では忘れられない事が起こりました。以前から予約していた山小屋にたどり着いてみると何と夜中に山小屋は焼失、 まだ火事の後は生々しく、瓦礫の山に なっておりました。かろうじて離れの小屋はそのままで、どこに行くあても無いのでその夜は小さな小屋に泊めてもらうことに。しかし食料もあまりなく、その日に宿泊予定のお客で分け合うことになりました。皆でおにぎりを作り輪になって食事。 7〜8人いたでしょうか、皆は前日からのお客で火事に遭い今日は火事の後片付けを手伝ったとの事。そこにはブラジルから来た旅行者もおり、わいわいと話も弾み(もちろん2世なので会話も日本語)火事のおかげで?皆とも親しくなり山小屋の管理人以外は楽しそうに過ごして夜も更けていきました。
山登りを 趣味にしていたせか旅先ではいろんな危険にも遭い、もう帰れないかもしれないと思ったこともありました。妹と2人で四国の石鎚山に登ったときのこと、朝早くから登りだしたので頂上 にはお昼前に着いてしまい、少し元気を持て余していました。ふもとにある土小屋に戻る予定でしたが、時間もあるなあと思って下っていると矢印の看板が立っていました。面河に17キロ、ふ〜んこのくらいなら下りだし行けるよね。と面河が今日の宿泊地であったので歩いて降りることにしました。
しかししかし、山の17キロと言うことの意味は違っていました。 何時間歩いても全然ふもとにはおりないのです。行っても行っても山ばかり、途中に避難小屋はありましたがどこかの大学のパーティが占領していました。休まず歩き続けましたがあの標識は間違っていたに違いないと思いました。私の頭の中では17キロはとっくに過ぎているはずでした。
9月初旬とはいえ山の日の長さには限りがあります。 だんだん日が西に傾いてきました。これはやばいとさすがに青くなり足は疲れて棒のようになっているのに恐怖の為ますますスピードアップ して走るように矢印をあてにしながら降りていきました。降りて降りてもう暗くなりかけたときようやく面河渓に通ずると思える渓谷に行き当たりました。暗い中に宿の看板 が見えたときは思わず妹と嬉し涙にくれてしまいました。やれやれ。
|