大体人は自分の学校時代の成績をまあ,わが子も親くらいだろうと諦めているのが普通で、よって我が家は最初からかなりあきらめムードが強く、学業はダメだからせめて社会に出て人に迷惑だけはかけないような人間にしたいと、密かに思っていました。しかし、大体親の思いは子供に裏切られるのが常のようで良く学校から電話が鳴りました。「これこれ、しかじかでお母さんからもしっかり教育してください。」というような訳で電話の鳴るたびにびくびくしておりました。
電話のまだ無かった我々親世代の子供の頃が妙に良き時代だったような気がしてなりませんでした。
子供は何かトラブルがあると親には隠したいのに、何時もばればれで2重に叱られるはめになるのは少し気の毒な気もしていました。
しかし、大抵はこんな事くらいはわが子ならするだろうという位の、親の許容範囲と学校のそれには食い違っていたように思います。言葉使いが悪い、友達をほったらかしにして帰った。おもちゃを持ってきた。落書きをした。などなど・・・へたな通信手段があるばかりに問題は何でもないことから軋轢を生み、おしまいにはいちいちこんなことで電話されちゃぁたまらないわと思うようになり、めんどくさがりやの私は学校に行くのがおっくうになり、親が登校拒否、不登校になるという展開になってしまいました。
それでもなぜか子供は、へっちゃらで、友達と遊ぶために学校へ行っていました。幸い学校というところの良い所は1年毎に先生が変わるということがあり、それによって又リセットして再できることでしょうか。学校は自分に合った先生にめぐり合えると10倍自分の能力を伸ばせるところのように思います。しかし理不尽なことがあるのは世の常であり、先生もいろいろな子供と相性が合うはずも無くましてやその親とまでかかわるのはさぞかし大変な事だっただろうと、気の毒に思います。
さて、そうこうするうちに子供も中学生になり、またしても私を悩ます事がでてきました。それは学校のクラブ活動です。子供の入ったクラブは少しだけ強く、あちこち他校と練習試合なんかすることもままありました。それで、父母の会なるものがあってそれはそれは親達が熱心なのです。おまけに、他校試合のあるたびに親は荷物の運び役から、子供達の送り迎え、先生の弁当からお茶の手配、それはそれは大変な仕事でした。又それも毎週のようにあり、日曜日が仕事の私には大変過酷なスケジュールとなりました。
まして練習試合なんて県外ということもあり、それぞれが車を出せる親の車に分乗していくという、なんとも負担が重かったので、私は楽がしたい為、自分から進んで役員を引き受けました。
しかし、私のように怠慢な親はいるはずもなく皆反対で、とうとう私は変人扱いされクラブの役員もとり上げられてしまいました。やれやれ・・・
「クラブに親がかかわるから子供と話が出来る。」「郷に入れば郷に従えよ。」などなど・・・私は孤立無援で、しぶしぶそこから引っ込むしかありませんでした。

私は自分の親が学校とはほとんどかかわらなかったのが一概によかったとは言えないまでも、かかわりすぎても良くないのでは無いかとずっと思っていたので、他の親達とのギャップはかなりありました。
やはり、世の中は一世代過ぎると随分変化してきているのです。その変化をまざまざと感じながらでもやっぱり変だと今でも思ってしまうのはやはり私も相当頑固者なんでしょうねぇ。。